CLANNAD第18話「逆転の秘策」

ようやくテリブルTOKYOに追いつきました。向こうが足止めくらってるようですが。
今回の話、特にAパートの椋の「可能性」論は、ギャルゲーのシステム論的なものでしたね。「友達」であった二人が、「二人の思い次第で」――つまり主人公の選択とフラグ立て、そしてそれに対するヒロインの反応で――それ以上になりうる、と。しかし、「未来は一つに決まっている」、つまり朋也の心はもう渚に向いてしまっているので、その「可能性」は潰えています。それでも姉と自分の為に可能性にすがらずにいられなかった、これがアニメ版の椋でしょう。実際、原作では椋は複数の「可能性」=関連シナリオを持っているわけですから。
Bパートは智代が中心でしたね。鷹文*1は原作では車道に突っ込んで・・・だったと思うんですが、変更したみたいですね。智代の家族は鷹文が犠牲になることで円満になり、朋也の家族は右腕が犠牲になることで他人のようになる、複雑な事情が見え隠れしてますね。そんな彼が荒れないで済む方法について「才能」(バスケ)と「恋愛」(渚)を挙げたことにちょっと感動。「家族、仲間でもいい」と智代が語り終えた後に唐突に渚が戻ってくるシーン、これは家族のような共同体である演劇部の部長(家長・・・実際は朋也がそうなんですが)が戻ってきたということなんですね。つまり「不在」であったものが戻ってきた、と。だから唐突でも、そんなに違和感は感じませんし、上手く次のシーンに入れるわけです。
さて、今回の大きなポイントはやっぱりテニスでしょう。挿入歌に「オーバー」を用いてのテニスシーン。そこで渚に自己紹介をされただけで負けを悟る、しかしだからといって試合に手抜きをしない、智代のフェアで格好いいところです。そして渚をかばう朋也の姿を見て負けを悟る藤林姉妹。杏が泣き崩れるまでの流れが非常に秀逸でしたね。この泣かせ方はタダモノじゃあないでしょう。
次回「新しい生活」ということで、もちろん原作既読としては例のアレか、と思うわけですが、それにしては早すぎるような・・・全26話程度ならわかるんですが、それだとあまりに救われない連中が出てきて・・・ううむ。

*1:無関係です、オフィシャル的に