etude「そして明日の世界より――」論・メモ(3)

個人用メモ第3弾。
そろそろまとめてしまいたいと思います。当然ネタバレ。



世界の崩壊

この作品の大きなテーマは、「世界の崩壊」です。その「世界の崩壊」は、大きく二つのレベルに別れます。一つは「世界それ自体が崩壊する」、物理的、肉体的な死、あるいは自分と直接関係ない大きな世界の崩壊です。もう一つは、精神的な死、自分の持っている「世界の欠片」が崩壊することです。御波が克服していたのは前者、そして海(昴の母親)が怖れ、「普通の人々」が怖れ、御波が立ち会うことになるのが後者ですね。
後者は「世界の崩壊」がまだ起きていない状態で、かつそれが決定的になった状態で起こります。「世界は何も考えない、世界は何も変わっていない、変わったのは人間だ」というような感じで、作中でも表現されていますね。
その「小さな世界の崩壊」に打ち勝った人たちとしてヒロイン達が(昴のシェルター行きを喜ぶ)、負けた、あるいは「解っていない」人間として島の人々が(昴のシェルター行きを妬む)出てくるわけです。もちろん、「何で俺が助からないんだ」「何でウチの子どもが助からないんだ」という発言を否定するつもりはありませんし、人間として当然であることが作中でも記述されていますが。
どちらにせよ、彼らが本当に怖れているのは、個人的な、小さな世界の崩壊であり、そして昴が生き残ることを知ってヒロイン達が喜ぶのは、それなら自分たちの小さな世界は壊れない(思い出となってまた誰かの中に生き残る)、と思ったからです。

ノーマルエンド、そしてAFTERへ

本作のもっとも奇妙にして特徴的な点、それはいわゆる「ノーマルエンド」(ムービーのファイル名もnormalとなってます)が、他のヒロイン達と迎えるエンディングに比べ、最も幸福そうであること(誰にも救いがあること)です。
ノーマルエンドではヒロイン達の悩みはたちどころに解決(あるいは問題が起こらず)し、誰も彼もが昴を好きなのに、いやだからこそ並列に「大切な世界の欠片」として扱われます。その「大切な世界の欠片」には、八島のじいちゃんも「同じくらい大切」と扱われ、もはや一人のヒロインの特権性は消え飛んでいます。全てのヒロインとのフラグが最初から立っている本作で、ノーマルエンドはそのフラグを全て叩き折る、あるいは全て立たせたままでいるエンディングです(誰とも恋愛関係で結ばれないことを考えると、いわゆる「ハーレムエンド」とは一線を画しています。ハーレムなら朝陽エンドの方がそれっぽいですね)。
最も重要な点は、他のシナリオでは「世界が滅ぼうとしている」段階であると思われているのに対して、ノーマルルートでは昴がシェルター行きを妬む輩の直接的な襲撃に遭い、「世界が滅んでしまっていた」と悟る点です。ゲームの最初に「この島が世界の全て」と語っていますが、そういう輩が出てきてしまった時点で、間違いなく世界は崩壊済みであるわけです。このルートのみ三度の「世界の崩壊」を迎えますが(「最初は世界が滅ぶと訊かされ。二度目は生きていいと言われ。そして今日殺されかけ、この島には自分の居場所はほとんどないと知った。」)、その三度の崩壊を先に体験した人物として八島のじいちゃん(終戦、妻の死、大きな世界の崩壊の報道)が出てくるわけです。ここでも昴は宗一郎の模倣(後追いとでもいった方がいいでしょう)をしているわけです。
そして昴は悟るわけです。

星は降ってくる。けれどそれで世界が滅びる訳じゃない。
世界が滅ぶのは俺達が俺達を辞める時だ。

そのために、つまり小さな世界を守り通すために、自分達が自分達のままでいること、そしてそのために滅んだ世界を建て直すこと。これがノーマルエンドで最終的に出された帰結であり、そのために昴やヒロイン達の家族全員を集め、作品の冒頭から続けられていた「温泉掘り」をするわけです。

AFTERシナリオ

アフターシナリオはあっという間に終わります。そこに出てくるのは、6歳にシェルターに入り、現在36歳になった「俺」と、彼を先輩と慕う「彼女」です。「俺」は昴でもなければ、彼らは昴達と何の関係もありません。彼らは幸運にもシェルターから生き延び(シェルターの大半が滅んだこと、生き残った人間たちも醜い争いを繰り広げたことが彼の口から語られます)、そして「俺達が一人ではないという証」と、「ここに生きていることが無駄ではないという確信」を得るために、「掘らずにはいられな」いと言い、昴達が温泉を掘っていた地点を掘っています。当然これはこの論で言えば昴達の「模倣」になるわけです。
そうして、誰でもない「俺」が掘り当てたのは、昴達が温泉を掘り当てた写真(2006/8/25、昴のシェルター行きが予定されていた1週間前であり、昴がシェルターに行った可能性は時間的にはかろうじて残されています)と、「俺達はここにいる」で締めくくられる、一枚の手紙です。これを見た「俺」は確信します。世界は滅んでいない、無駄ではない、人は強い、と。そんな彼らに差し込むのは「朝日」であり、その日は奇しくも2037年の初日の出であり、「彼女」の「あけましておめでとうございます」という新年の挨拶で「ものがたり」は終わります。エンドロールには讃美歌の「Amazing Grace」(驚く程の恵み・・・「俺」に希望をもたらしたものだと思っていいでしょう)が流れ、「“ものがたりの終わり――そして全ての始まり”という意味深な(あるいは自明な)文章が表示され、作品の幕は閉じられます。
このAFTERシナリオがタイトルの「明日の世界」に該当するものであると思われますし、そうすると「そして明日の世界より――」というタイトルから読み取れるのは、本作が昴達からのメッセージではなく、それを間接的に受け取った「俺」からのメッセージだということではないでしょうか。当然この無名の「俺」がプレイヤーの代理である、ということもできますね。

総評

さて、ここまで追ってきて、作品のテーマを一つに絞るとすると、「極限状況下で人はどのようにして死に向き合うのか、そしてあるがままの自分自身を見つけるのか」といったところでしょう。作品のメッセージとしては、「自分の役割にこだわることを捨て、あるがまま生きろ」や、「シェルター(殻)に閉じこもるな」、「小さな世界を、その想いを大切にしろ」といった命題が浮き上がるでしょう、シンプルに見ていくと。当然「ものがたりが終わったんだからホレ現実に戻って生きろ」だなんていう悪意に満ちた解釈も出来ます(その場合シナリオは善意によって語りかけているのだとは思いますが)。
ここまで書いてきたことは、非常に浅くはありますが、ゲーム全体の流れをそれなりに整理出来てはいたと思います。プレイしていないのにここまで読んでしまった人は、是非ともプレイしてみてください。その際は青葉から始めて4人のヒロインを攻略し、ノーマルエンド→AFTERの順でプレイするのを個人的にはお薦めします(ちなみに私は青葉→御波→朝陽→夕陽→ノーマル→AFTER)。
自分にとっても、ここまでの長文を書いたことが、リハビリテーションになり、また作品にもらった感動を還元することに少しはなったかな、と思います。優れた作品でした。
最後に、この作品の一番のキモであり、一番大切な、例の台詞でお別れしましょう。

『大切な事は全て私達の想いの中にある』
『私達を立ち上がらせるものはそこからやってくるのであって』
『満たすすべのない場所や時によってあるものではない』
『故に想う事を忘れずに』
『そこにこそ、あるべきすがたがある』
パスカル『パンセ』*1

*1:この訳の本は出版されていないようで、「他の本では『道徳の原動力』や『道義の根拠』などと訳されていたりします」(by御波)『パンセ』は未読ですが、簡潔にして名訳だと思います。健速氏のセンスに脱帽。