演じることについて――マクロスFとコードギアスを越えて――

今年のアニメは、とりわけこの「演じる」というテーマが強かった気がする。もちろん、ソウルイーター屍姫といったガンガン枠の作品のメインキャストが新人が多く、いわゆる「棒読み」と叩かれながらも段々とキャラクターに合っていった(というより、彼らの声がキャラクター形成に寄与した部分は大きく、あるいは単に視聴者が慣れていっただけなのかもしれないが)点も含めて、「演じる」ということになるだろう。もちろん釘宮理恵が今年も新しいツンデレキャラ(大河)を演じたり、来年はまたハガレンでアルを演じるであろうことを考えると問題は複雑になってくるが。
さて、今年の私的2大アニメに移ろう。ギアスは言うまでもないが、ルルーシュが「ゼロ」という人格を騎士団内で演じ、またゼロがルルーシュという人格を学園内で演じていた・・・どれが本当の自分かわからなくなるぐらいに。彼は最愛の妹ナナリーに対してもその正体を知られないように演技をしなければならないし、いわゆる「素」のルルーシュというものがどれか、おそらく誰にもわかるまい。走って疲れ果てる姿は、身体的に見ればそれが「素」かもしれないが。この辺りはルルーシュとゼロを演じ分けた福山潤の演技力が大きい。特にリアルタイムで第一期を見ていた人なら、「武装錬金」のカズキとの演技分けに驚いてもいいだろう。もっともギアスの場合、最終的にスザクがゼロになったり、集合した日本人全員がゼロになったりと、もはや誰でもない、それこそ「ゼロ」な存在にまでゼロを昇華させた、その手腕が見事だった。誰がゼロでもよかったのだ。しかし視聴者にとっては、ゼロはルルーシュでなくてはいけなかっただろう。
マクロスFについては、23話の感想で以下のように書いた。

「俺は・・・ランカを殺す」
散々周りにアレコレ言われ、シェリルと共に過ごし、全ての真実を知り、キサブロー兄さんに「成り行きでパイロットになっただけ」と言われ、クラン大尉と話し、ランカを守るためにSMSに入りました・・・そして出した結論がこれ。正直ここまでやってくれるとは思わなかった。個人的にはそれこそが「成り行きで」「流されて」短絡的に選んだ答えに見えてしまうんですが、いかがでしょうか。「与えられた役をこなさずにいられない根っからの役者」ってのは、こういうことなんでしょうか。
http://d.hatena.ne.jp/hibino-no/20080912/p1

残念ながら現状、これを取り下げる気は全く無い。最後の最後まで、アルトは主体的に動いていたというよりは、動かされていた部分が圧倒的に大きいように感じるからだ。もちろん彼に悩みや葛藤が無かったとは言わないが、描写不足の感は否めない。彼は主人公としてもっと大切に扱われても良かった気がする。だからこそ、彼は最後まで三角関係を維持してしまう――主体的に選ぶことをしない。個人的な内面の葛藤と戦い続けたルルーシュに比べれば、主人公としてはやや寂しいか。もちろんルルーシュの葛藤の乗り越え方は、「エヴァンゲリオン」のシンジなどとも違うスタイルであったわけだが。
とにかく、そのようにして「演じる」というキーワードを、今期最後に破壊してしまったのが「ef - a tale of melodies.」ではなかったろうか。ミズキは演技が出来ない少女である。久瀬は仮面を被り続けた男である。ミズキが久瀬に対してこの上ない直球で言葉を投げかけた時、久瀬の「仮面」=「演技」は崩壊する。この時我々は、ルルーシュ=ゼロが被り続けた「仮面」、Cの世界での「ペルソナ」について思い起こさずにはいられないだろう。ルルーシュが作り上げ、アルトがそうせざるを得なかった「演技」というテーマ、それを打ち砕いたのはたった一人の少女なのだ。


とまぁ、大体こんなところでお許しください。しかしギアスR2とマクロスが同時期に放送されたことの僥倖について、誰か考えてくれる人が少しでもいればいいんですが。