コードギアスR2 TURN-24「ダモクレス の 空」

ニーナの協力によりフレイヤをキャンセル、ルルーシュとスザクは単独でアヴァロンに乗り込み、ジノ、シュナイゼルと対峙する・・・というのが大まかなあらすじですが、早い早い、巻き入ってるよ・・・。結局藤堂も星刻もナイトメア戦での死亡は回避、星刻は天子様、千葉さんは藤堂をそれぞれゲットしてハッピーエンドですか。とりあえず扇、千葉さん、星刻、ギルフォード辺りは本当に勝ち組かもしれない、とか思ってしまった。
結局ルルーシュが目指したのは「人々がそれぞれ幸せを求め続ける明日」で、そのために「昨日」との繋がりを求めすぎたシャルルを倒し、「今日」の維持(=負けない戦い)だけを目指したシュナイゼルを倒したわけですか。変化のない世界は嫌だ、だからこそ変わりゆく明日が欲しいんだ、というのはシャルル相手に論じたことの繰り返しでしたが、人類補完計画的な集合無意識との接続に対しても、核(フレイヤ)による恐怖政治に対しても、同じ理屈で看破してみせた(というわけではないのですが)ところにルルーシュの新しさがあるんだろうと思います。・・・まぁ、そのために「今日」に生きる多くの人たちの「明日」を奪ってきたことは否定出来ないわけですし、そもそもギアスは命令を絶対遵守させる力ですから、これもある種の思考停止(=「今日」に留まる)ことじゃないかと思ってしまいますが、とにかくそのギアスを使ってでも俺は明日に生きたいんだ、というのがルルーシュで・・・かなりややこしくなってしまいました。とにかく、ルルーシュにとってはギアスを使うことよりも殺すことの方がためらいがない(ディートハルトに対して「お前はギアスをかける価値もない」)みたいですし、そうなれば開眼ナナリーに対しても「ゼロ・レクイエムの障害になるなら殺す」と言いながらギアスをかけるかどうかは迷う、といったところでしょうか。
カレンとC.C.の女の戦いは見ものでしたが、あっさりC.C.敗北。カレンは結局スザクとの対決を望むようですし、本当にこの作品の「ヒロイン」って何だったんだろう、とか思ってしまいますね。ヒロイン対決だと思ったのに。とりあえずC.C.はルルーシュのことを好きになってしまったからこそ、ルルーシュとの「明日」を生きたかったんだろうとは思いますが。
さて、ここまでかなりの時間を使って我々を引っ掻き回してくれた(いい意味で)「コードギアス 反逆のルルーシュ」シリーズもついに次回で最終回。開眼したナナリーといかにルルーシュが渡り合うか、カレンとスザクの対決の行方は、そして「明日」を生きるのは誰か、示される「明日」のヴィジョンとは何か。様々な謎を語りかけながら、物語は収束・・・出来るんでしょうか、これ。風呂敷広げすぎてたためなかった、というのは若干勘弁して欲しいところですが。次回は「Re;」ということで、多分メールの返信の頭につくアレだと思うんですが、作品は我々視聴者に対していかなる「返信」を投げかけてくれるのか、それとも「返信」することを視聴者に求めるのか、全ては次回、また見てギアス!(一回使ってみたかった)


追記。自分の思ってること全てを語ろうとしても、どこか抜け落ちてしまう部分がありますし、もちろん自分では語りえない部分もある。しかしそういう「抜け落ち」を覚悟してでも「語りたい」という欲望を簡単に抱かせてしまう、この「コードギアス」という作品の持つ引力は何だろう、とか思ってしまいます。徹底してパターン化を逃れたロボットバトルか、それとも「ついていけない」ほどのその速度と思想性か、あるいは・・・。ちょっとまた立ち止まって考えてみたいと思います。あと「演じる」「選ぶ」というテーマについて、ちょっとマクロスFとギアスを比較してみたいなぁ、と。というか誰かして下さい、と言いたいところでもありますが。いずれにせよ、「マクロスF」「ギアス」の2作品が折角同時期にやってるんだから、何かしら語りたい。ほらまた「語りたい」と言ってしまいました。と同時に「語れない」。ホントに何なんだろう、この作品は・・・とか思ってしまいますね。面白い、好きだ、語りたい・・・けどそれを強烈に拒絶するような斥力も、同時に存在しているような気がします。寝ます。