朱門優『ある夏のお見合いと、あるいは空を泳ぐアネモイと。』一迅社文庫

夏のライトノベル読書第一弾。Lump of sugarいつか、届く、あの空に。』のライターということで超期待・・・というわけではなく、ラノサイ杯の結果の中に見知った名前があったのでたまたま手に取った、そういうだけの動機ではありましたが、ぶっちゃけかなり面白かったです。
謎かけのような会話劇が延々と繰り返され、ファンタジックな現象が起こり、その全てが最終的には「名前」の因縁として還元する、というのは「いつ空」でも見所でしたが、今回も健在。詩的でカッコイイ台詞回し/語りとかも魅力的で、普段あまりラノベを読まない(本当ですヨ?)私もついグイグイと引き込まれました。


この作品、主人公の輪が高校生にしてはもう何というかノスタルジック、過去志向で、その点を批判的に読まれた方も多いとは思いますが、何かそれって違うなぁ、と思ってしまいました。この作品では輪の「大人」に対する嫌悪感――と同時に過去には大人に対する憧れがあって――がやたら強調されており、斜に構えたような部分がやたら見られますね。で、「見えなくなった」ものを探すわけですから、当然見えなく「なった」ものは、過去にしかないわけです。輪が「大人」になってしまう前に、過去に遡らないと、輪は本当に「義務」感で生きる、ある種諦観した大人になってしまう。ヒロインのいちこが、そしてアネモイが嫌だったのは、輪がそうした(自分で捻じ曲げた)「大人」像を体現してしまうこと、その一点に尽きるでしょう。だから輪の過去を知る人間(幼なじみ)がヒロインとなり、輪との思い出を探す中で、「見えなくなった」ものを探す物語になっているんじゃないでしょうか。大人になる前、つまり高校生のうちに何とかして輪の歪んだ(輪が歪めた)「大人」像を矯正(と言うと言い方が悪いですが)する。過去を振り返って「過去はよかったなぁ」とノスタルジックに浸るのではなくて、過去に遡って「大人」への憧れ、あるいは「子ども」の頃の自分を取り戻すことで、輪は「これから」をいちこと生きることを誓えるわけです。

けれど、どうにもならなくなった"今"を変えるためのきっかけに、自分の立ち位置を確認するために、思い出が必要になる時もあるんじゃないかと。
思い出したからこそ始まるものがあってもいいじゃないですか。
(「あとがき」)

その視点は単純に過去に向いているのではなく、今→過去→今→未来、というラインで結びついているはずです。この作品は単にノスタルジーに浸って過去を見る作品ではなくて、その過去に戻って清算することではじめて未来が見えてくる。そういう一作だったんじゃないでしょうか。いちこに輪の大人像を矯正する権利があるのか、というと、そこはホラ、飼い主ですから(台無し)。
とりあえず、全体を通してかなり魅力的な作品でした。最後の最後で一気に物事を解決しまくるので、途中意味分からなくて放り出す人もいるかもしれませんが、最後まで読むとスッキリするいい作品です。この夏のお供にどうぞ。